2018年09月 9日

沖縄には、多くの黄金の言葉(くがにくとぅば)と呼ばれる知恵と教訓の言葉があります。

その一つに、「けらま(慶良間)みぃしが まちげーみぃらん」という黄金言葉があります。

この言葉は、「遠くにある慶良間島は見えても、自分のまつ毛は見えにくい」という意味です。

言い換えますと、「自分のこと、身近な物事は意外と気づかないものだ」ということを教えた言葉です。

聖書には、次のように書いてあります。「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、

なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって『あなたの目からおが屑を

取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。」

(新約聖書・マタイによる福音書7章3節~4節)

この聖書の言葉と、冒頭の黄金言葉の「けらま(慶良間)みぃしが まちげーみぃらん」とを

読み比べてみますと、とても似ている言葉であることがわかります。

聖書は、「兄弟の目にあるおが屑(人の欠点)は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太

(自分の欠点)に気づかないのか。」と述べています。人の欠点は、小さいものであっても

よく見えるものです。しかし、自分の欠点にはなかなか気づかないものです。

このような話を聞いたことがあります。「あの人が悪い!」と相手を指差す時、相手のほうに

指が1本向いていますが、自分には3本向いているというのです。この話は、とても考えさせられる

話として、私の心に印象深く残っています。

聖書には、次のように書いてあります。「イエスは、私達のために命を捨ててくださいました。

そのことによって、私達は愛を知りました。」(新約聖書・ヨハネの手紙Ⅰ、3章16節)

「こんな私のような者のために」、罪のないお方、イエス・キリストが十字架で身代わりと

なって命をささげてくださったことを知る時、誰も自分を誇ったり、相手の欠点を指摘する

ことができなくなります。人はイエス・キリストを通して、はじめて愛を知ることができます。

イエス・キリストは、私達が人を愛し、赦し、受け入れることができるようにしてくださるお方です。

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