2012年10月 1日
『しかし、終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。 そのとき・・・恩を知らず、神を畏れなくなります。 また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、・・・』Ⅱテモテ3章1-3節
今、日本と中国・韓国との関係が非常に悪化しています。色々な要因があることは理解していますが、なんとかならないものかとニュースを見る度に心が重くなります。個人的に、どちらの国にも友人が多くおり、皆このような状況の中で心を痛めて成り行きを見守っています。
今日の聖書の言葉は、まさしく今の中国・韓国との関係に当てはまる言葉ではないかと思います。以前、こんな話を聞きました。
「ニューヨーク・マンハッタンにある教会のゴードン牧師は、毎朝コーヒーショップに通っていました。ある時、ゴードン師は客のみんなに声をかけました。「僕らは毎日のように顔を合わせているのだから、自己紹介でもしませんか?」それから、一人一人が自己紹介していきました。ビジネスマン、コメディアン、小説家・・・。ゴードン師は、オーナーにも自己紹介を求めました。彼はためらっていましたが、重い口を開いて言いました。「自分の名はハシーンで、イラクのバクダッド出身だ」。それを聞いた瞬間、みんなよそよそしくなり、あわててコーヒーを飲んで、出て行きました。客のほとんどがユダヤ人で、ちょうど湾岸戦争によって、イラクとイスラエルが緊張状態にあったからです。
やがてイラクがイスラエルにミサイルを打ち込んだというニュースが流れました。ゴードン師は心配して、ハシーンの店に行ってみました。すると、そこにはいつものメンバーが集まっていました。彼らは、ゴードン師に言いました。「みんなの代表として、ハシーンとバクダッドにいる彼の家族のために祈ってほしい」。そしてゴードン師が祈り終えると、彼らはユダヤ人とアラブ人の壁を越えて、ハシーンを抱きしめ、励ましたのでした。ハシーンは涙を流し、言いました。「僕はこのアメリカで一人ぼっちじゃないことを、今知った」
国と国との関係は、領土や民族主義が絡むと、とかく熱しやすく、難しくなりがちです。しかし、それはまた、その国の人々が人間関係においていかに成熟しているかを如実に表すバロメーターではないかと思います。つまり、日本・中国・韓国は、ある意味、関係性においてお互いに未熟な部分を抱えていると認めざるをえないということです。
聖書に次のような言葉があります。この聖書の言葉は、イエス・キリストが十字架に架かる直前に祈られた言葉です。人々が自分たちそれぞれの行動を理解していないこと、しかしイエス・キリストがその過ちを受け入れ、赦しを求める姿がここにはあります。今の困難な局面、また私たちの普段の人間関係においても、避けることの出来ない「敵意を越える」ためのヒントが、この言葉の中にあるように思います。
政治や教育の問題もあり解決するのは難しいでしょうね。
隣人を愛せよ、兄弟を許す、こんなキリスト教精神もみたいものです。
わたしは海外旅行は韓国しか行ったことないし、知人も韓国にいます。
そこにはネット上にも氾濫している言葉、反日・嫌韓というものは
感じられませんでしたね。
まーくん様、コメントありがとうございます。おっしゃるとおりだと思います。私も多くの知人が韓国におりますが、個人的な交わりでは問題ありませんでした。また、互いの国に長く住んだ経験を持った人たちとは、腹を割って話すことができました。メディア、教育、政治の影響は大きいと思います。特にメディアは、感情を煽り、互いの顔を見えなくするという欠点があるように思います。ソウルの町中を歩いていたときに目に留まった、教会の壁に掛かった垂れ幕を今でも印象深く覚えています。そこには「日本を赦しましょう!」と書かれてありました。小さくてもそのような声がお互いの国に必要だと感じる今日この頃です。